映画『溺れるナイフ』における大友という【普通】の存在
※別の場所にほぼ同じような文章載せてるんですけれど名前は違えどわたしなのでパクリではありません
今更のことだが、わたしはジャニーズWESTの重岡大毅くんのことが好きだ。
好きになった理由はいくつかあれど、その一つに彼が出演した映画『溺れるナイフ』が挙げられる。
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ジャニーズWESTのオタクならば履修済みの人も多くいると思うのだが、見ていない人はリンク開いてあらすじを読んでいる前提のブログである。
重岡くん演じる大友は主演2人に次ぐ役柄である。しかし3人の中では1人異質な存在である。世間から、大友目線からしたら2人が異質なのだそれがゆえに小松菜奈演じる夏芽に募せた大友の恋は実ることがない。
しかし作中、普通に生きていきたいと望む夏芽の側にそっと寄り添っていたのが大友だった。
夏芽が異質な存在であるのは端正な容姿に加え、芸能人であることや東京からの転校生であることなど挙げられるのでわたしの全て平均以下の生活ゆえに「普通に生きていきたい」とは境遇が全く異なるのだが、わたしは普通に生きたいと望む夏芽に寄り添う、普通の象徴である大友に惹かれる理由はそこにあるのだと思う。
大友は溺れるナイフにおいて【普通】の象徴であり、作品の神秘さと視聴者を繋ぐ役割も果たしていると感じる。大友のおかげで私たちは溺れるナイフという作品が取っつきやすい恋愛映画になったのだと思う。
とはいえ大友演じる重岡くんはジャニーズであり、アイドルである。いわゆる普通とはほど遠い存在なのだ。
にも関わらずここまで【普通】を演じることができ、夏芽に、そして視聴者に寄り添えるのは一体何故なのだろうか。
重岡くんを好きになってもうすぐ2年が経とうとしている。アイドルだと思うときもあれば普通の男の子のように見えるときもある。まだ私は重岡大毅というアイドルを掴めずにいる。